HIGHLIGHT

みどころ

法相柱柱絵を初公開

法相柱には、鮮やかな群青の背景に、法相の教義「唯識」を確立し発展させた祖師14人が立像と坐像とに描き分けられています。それぞれの祖師像は、興福寺の寺宝に古くより伝わる姿に、畠中画伯独自の解釈とイメージを加え、興福寺の伝統に新たな歴史を刻むに相応しい、祈りの対象となりました。

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無著菩薩

無著菩薩(むじゃくぼさつ)

無著はサンスクリットでアサンガといい、西暦395~470年頃の人(推定、干潟龍祥説)。西北インドのプルシャプラ(現パキスタンのペシャワール)のバラモンの家に生まれた。仏教の世界に入った後、インド中部に移り、弥勒菩薩から唯識の教えを受けたと伝えられる。唯識仏教を大成させた学僧で、代表著作に『摂大乗論』がある。

玄奘三蔵

玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)

三蔵法師としてあまりにも有名、602年に生誕し664年に示寂した。インド遊学の後、万巻の経典を携えて唐に帰国し、ただちに『大唐西域記』を著述した。また、経典翻訳の傍ら、『唯識三十頌』のさまざまな注釈書を弟子の慈恩大師と訳出。そして、護法説を軸に、『成唯識論』(十巻)を成立させた。本書は、法相宗の根本聖典である。

慈恩大師

慈恩大師(じおんだいし)

632〜682年の人で、名は基。唯識の立場から数多くの経論を注釈し、「百本の疏主」といわれた。法相宗の確立にもっとも貢献した学僧で、現に法相宗祖と仰がれる。代表的な著作として『成唯識論述記』がある。毎年11月13日の忌日当夜、慈恩会の追考法要が営まれる(会場は、興福寺と薬師寺の法相二本山が交番で受け持つ)。

解脱上人

解脱上人(げだつしょうにん)

平治の乱で祖父の通憲(信西入道)が失脚、一族没落の中、叔父の覚憲(後の興福寺別当)に導かれて蔵俊門下となった。1155〜1213年の人。その唯識教学は、前代にない清新な展開をみせ、「法相宗中興」と仰がれる。一方、透徹した観心の実践者でもあり、生涯にわたり厳しい自己凝視を重ね、迷界からの出離を一途に希求模索した。

興福寺の寺宝

法相宗の教義や中金堂再建の歴史にかかわる、興福寺所蔵の宝物を展示。1300年の永きにわたり人々の信仰を集め続ける興福寺の一端を紹介します。

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薬師如来坐像

薬師如来坐像 (重文)平安時代富山展

像内に納められた『薬師経』の願文から、沙門輔静が発願し、長和2年(1013)頃に制作されたことがわかる。輔静は薬師寺や西大寺の別当を歴任した法相宗の僧侶。桜材の一木造で背中に長方形の大きな刳りを施し、そこに『薬師経』等を納めていた。両脚部には別材を当てている。弾力性のある肉身やひきしまった顔などには天平彫刻に通じる特色がある。

吉祥天倚像(厨子入り)

吉祥天倚像(厨子入り) (重文)南北朝時代新潟展

台座の墨書銘から興福寺金堂の像として木所大仏師寛慶と絵所(松南院座)大仏師法眼命尊が作り、唐招提寺第十代長老慶円により御衣木加持と開眼供養が行われたことがわかる。寛慶は奈良の椿井町に住み14世紀半ばに活躍した仏師。その後に奈良で活躍する椿井仏師の基礎を築いた。彩色など表面の仕上げが良く残っている。

菩薩立像

菩薩立像 平安時代東京展富山展茨城展神奈川展新潟展大阪展

かつて興福寺には千体仏といわれる40センチメートルに満たない小さな木彫像が数多くあったとされており、明治期にその多くが寺を離れ民間に流出したという。この2体は、いずれも本体が杉材の一木造で内刳りもない。平安時代後期の作であるが、造像の目的などは明らかでない。

燈籠火袋羽目

燈籠火袋羽目 (国宝)平安時代富山展新潟展

興福寺南円堂の前にあった燈籠は、藤原真夏が発願して弘仁7年(816)に制作された。東大寺大仏殿前の燈籠に次いで古い。その火袋の羽目板5枚のうち4枚に七行九字詰の銘文が鋳出されている。文は弘法大師空海が構想し、書は三筆の一人である橘逸勢の筆と伝えられる。楷書に行書を交えた風格のある書体が見られる。

慈恩大師画像

慈恩大師画像(一乗院本)(重文)鎌倉時代富山展

慈恩大師は中国唐代の高僧であり、諱(いみな)を「基」という。玄奘に師事して法相教学を体系化した宗祖である。『宋高僧伝』には「項(うなじ)に玉枕(ぎょくちん)を負い、面部は宏偉(こうい)にして手の十指を交えて印契(いんげい)のごとくす」と記されるその像容は、本図から充分にうかがわれるだろう。画面上部には別絹が継がれ、前半に慈恩大師の略伝が、後半に太宗皇帝御製の賛が記される。

法相曼荼羅図

法相曼荼羅図 (奈良県文化財)室町時代富山展茨城展新潟展

法相曼荼羅とは、法相宗の始祖とされる弥勒菩薩を中心に、その周りにインド・中国・日本の法相祖師を描くものである。南都の伝統的な祖師画を形式的に模したため、描かれる祖師の向きが一定ではなく、画面の統一感に欠けている。ただし、諸本の中でも多数の法相祖師を描き込む点において貴重であり、また南円堂の「木造法相六祖坐像」との関わりも見出せる興味深い作品である。

春日曼荼羅図 鎌倉時代東京展茨城展神奈川展大阪展

春日社頭の風景と、春日社の本地仏には含まれない如意輪(にょいりん)観音を大きく描く異色の春日曼荼羅図である。本図の裏書には応安ニ年(1369)の修理銘があり、本図が聖武天皇を祭る奈良・眉間寺(みけんじ)の再興を祈願して制作されたことがわかる。一説に、太皇太后の藤原氏のために眉間寺を創建したと言われていることにより、氏社である春日社を描き加えられたと推察される。

中金堂鎮壇具
中金堂鎮壇具

中金堂鎮壇具 (国宝)奈良時代 富山展

中金堂を建てる時、地の神に土地を借りることを報告し、許しを得る地鎮儀礼が行われ、金鋺や銀鋺、金板、銀板、和同開珎、刀、水晶、コハク、メノウ、鏡など35種類3000点近くが須弥壇下に鎮められた。明治7年(1874)出土品は東京国立博物館に、明治17年(1884)出土品は興福寺に所蔵され、国宝に指定される。未指定だが平成13年(2001)出土品は興福寺に所蔵される。

畠中光享代表作・新作

畠中光享画伯の代表作、新作など作品を合わせて展示します。仏教に造詣が深く、精力的に制作を続ける畠中画伯の作画世界を紹介します。畠中画伯は、奈良の寺院で生まれ、大谷大学文学部史学科、京都市立芸術大学日本画専攻科で学ばれました。主に仏教を主題に対象を徹底して調べ上げ、細やかな線描と鮮やかな色彩で表現する作品を制作され、ライフワークとして毎年インドの仏跡・寺院・博物館を訪れ見聞を深め、インド美術の研究者としても知られています。

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維摩空を説く

維摩空を説く(2016年)

私は行く

私は行く(2016年)

濁水に汚されない蓮のように

濁水に汚されない蓮のように(2014年)

一灯

一灯(2015年)

竹林精舎の説法(晨朝)

竹林精舎の説法(晨朝)(2014年)

帰去来(往相・還相)

帰去来(往相・還相)(2008年)

ダライ・ラマ十四世

ダライ・ラマ十四世(1981年)

日本画家 畠中光享画伯
ポートレート
(撮影:秋山庄太郎)

日本画家 畠中光享画伯 略歴

1947(昭和22)年、奈良県生まれ。大谷大学文学部卒業、京都市立芸術大学専攻科修了。描線と平面性、形の追求を核として、顔料の持つ美しさを引き出し、写生を基礎にした象徴性のある造形で、現代日本画にひとつの方向性を打ち出している。またインドの美術、特に絵画・染織・彫刻などの研究者でもある。77年〈シェル美術賞展〉一等賞、78年〈第一回東京セントラル美術館日本画大賞展〉大賞、2002年〈日経日本画大賞〉入選、04年〈京都府文化賞〉功労賞、14年〈京都美術文化賞〉、15年〈京都市文化功労賞〉受賞など、受賞歴多数。
1984〜93年〈横の会〉、1998〜2007年〈NEXT ― 日本画・京都からの表現〉、2012年〜〈Artist Group ― 風 ―〉の結成に参画。他に1998〜2010年 〈目 ― それぞれのかたち〉、2000年〈畠中光享の美意識〉、03年〈畠中光享展 ― 日々行歩〉、11年〈現代の日本画中島千波・ 畠中光享展〉など展覧会、個展多数。09年にはエストニア、ラトビアの国立美術館にて、12年にはインドニューデリー国立All India Fine Arts & Crafts Society にて日印国交60周年記念の個展開催。主な著書に『インド宮廷絵画』、『The Textile Arts of India』、『画文集 インド巡礼「ダルマ・ヤートラ」ブッダの歩いた道』『仏像の歩み』などがある。現在、「Artist Group ― 風 ―」を主宰。