RECONSTRUCTION

中金堂再建と法相柱

中金堂再建と法相柱

興福寺の起源は大化の改新で活躍した藤原鎌足ゆかりの寺とされ、710年の平城遷都に伴って鎌足の子で政権の実力者であった不比等が現在の地に建立しました。以来、法相宗の教えのもと藤原氏の氏寺として栄え、かつては春日大社と一体化し広大な寺域に壮大な甍を競ってきました。中金堂は興福寺最初の御堂として平安遷都の年に不比等によって建てられ、以降伽藍の中心となる最も重要な建物です。
興福寺は火災の多かった寺で、創建以来、焼失と再建を繰り返してきました。中金堂もこれまで七度の焼失を経験し、その度に再建されてきました。
これまでの再建と同様、今回の再建も創建当初の復元を目指しています。創建当初の図面は残っていませんが、記録や発掘調査の結果から、東西36.6m、南北23.0m、棟高21.2m、寄棟造、二重屋根、裳階付きで桁行(東西)九間、梁行(南北)六間の建物となります。これは平城宮の大極殿にも匹敵する規模です。
法相宗の祖師が描かれた法相柱が創建当初から存在していたかどうかは不明ですが、永承元年の最初の焼失後、永承三年に再建された時の様子を記録した「造興福寺記」(興福寺蔵、重要文化財)のなかで、法相柱の再興ついて記録されています。後年の記録にも度々法相柱の存在は記載され、興福寺は奈良時代以来「法相専寺」を標榜してきたこと、法相柱はその一つの象徴として、比較的初期の頃から存在していたことが推測されます。

興福寺中金堂再建の歴史

710(和銅3) 創建
1046(永承元)年被災 1048(永承3)年 再建
1060(康平3)年被災 1067(治暦3)年 再建
1096(嘉保3)年被災 1103(康和5)年 再建
1180(治承4)年被災(南都焼き討ち) 1194(建久5)年 再建
1277(建治3)年被災 1300(正安2)年 再建
1327(嘉暦2)年被災 1399(応永6)年 再建
1717(享保2)年被災 1819(文政2)年 仮金堂建立
2000(平成12)年 老朽化により解体
2018(平成30)年 再建予定

中金堂再建の歩み

  • 基壇の発掘調査
    1
    【2001年】

    基壇の発掘調査が行われ、1300年前の版築・礎石を確認

  • 中金堂・回廊・中門基壇の整備
    2
    【2008年】

    中金堂・回廊・中門基壇の整備が完成

  • 基礎コンクリート・礎石据付
    3
    【2010年6月】

    基礎コンクリート・礎石据付作業

  • 立柱式
    4
    【2010年10月】

    立柱式 その後素屋根等の建設

  • 先行組上
    5
    【2012年1月】

    母屋柱組立後、裳階(もこし)(庇 ひさし)部分を先行組上

  • 裳階の軒周り・屋根下地組立
    6
    【2012年8月】

    裳階の軒周り・屋根下地組立

  • 母屋部分の三手先組物組立
    7
    【2012年10月】

    母屋部分の三手先組物組立

  • 三手先組物が組み終わり、小屋組組立
    8
    【2013年5月】

    三手先組物が組み終わり、小屋組組立

  • 母屋の円形地垂木と角の飛檐垂木組立
    9
    【2013年7月】

    母屋の円形地垂木と角の飛檐(ひえん)垂木組立

  • 母屋の屋根下地を組立
    10
    【2013年10月】

    母屋の屋根下地を組立

  • 瓦葺き準備
    11
    【2014年5月】

    24日に上棟式を終え、瓦葺き準備に入る

  • 屋根下地コケラ葺き
    12
    【2014年8月】

    現在の屋根下地コケラ葺き完了

  • 空葺き桟工事
    13
    【2014年10月】

    土を使わないための空葺き桟工事

  • 14
    【2015年3月】

    母屋の瓦葺き終了、棟に鴟尾(しび)を設置

中金堂完成パース
中金堂完成パース
中金堂復元模型
中金堂復元模型